医療大麻の有用性が世界的に認められつつある今、大麻についての認識を改める必要性が高まっています。日本で「大麻」と聞くと違法薬物のことを連想しがちですが、大麻という言葉はそもそも、「麻」という植物の一種を指し、そこに違法性はありません。麻(大麻)は日本では縄文時代から衣服や漁網の素材として使われており、食用であり、神事ともかかわりがあるなど、日本人の生活に深く根付いてきました。
しかし現在は、法令による規制のあおりをうけて、大麻と言えば危険な植物というイメージが固定化しています。今回の記事では、そんな誤解されがちな大麻の歴史について見ていきましょう。
古代日本の大麻利用
大麻草は、1万2000年前には原産地である中央アジアで栽培され、縄文時代以前に大陸から運ばれてきました。日本各地の縄文時代の遺跡からは、大麻の種の痕跡が発掘されており、それは食べたあとのものや炭化したもの、大麻で作られた縄、大麻繊維の釣り糸や漁網など状態は様々。また弥生時代の遺跡から出土する繊維には大麻素材のものが多いです。
これらの事実は、古代の日本で大麻が食べ物としてだけでなく、衣服や釣りの道具、燃料、はたまた神事のお祓いのしめ縄など、あらゆる日常道具の素材として使われていたことを物語っています。大麻製の衣服は、身近な普段着・作業着であったことから、現代に至るまで保存されているものは少ないですが、奥会津博物館南郷館では当時の遺物が展示されています。
昭和期の大麻利用
現在の日本において大麻は、「大麻取締法」という法律によってその取扱いが厳しく制限されています。ではそれ以前、昭和期の日本では大麻はどのように使われていたのでしょうか。
大麻は、その繊維をもとに衣服を作り、そのほか下駄の鼻緒や畳、蚊帳や漁網など様々な日用品の原料になっており、また繊維を取った後のおがらはお盆に送り火・迎え火として燃やしたり茅葺(かやぶき)屋根や土壁の素材になり、大麻の種子である麻の実は灯油や食用になるなど、余すところなく使い切られていました。
大麻を吸引する使い方は一般的ではなく、燃やして使うときと言えば虫よけくらいのもので、そのほか喘息の薬として薬局で買い求めることもできました。大麻取締法は1984年に施行されましたが、この法律が成立する以前、科学繊維やプラスチックなどが存在しなかった時代において、大麻は優良な農作物として日本人の生活になくてはならない代物だったのです。
なぜ大麻は違法になってしまった?
このように、日本人にとって必要不可欠であった大麻はなぜ違法になってしまったのでしょうか。
明治時代以降、海外産の繊維が増えるにつれて、大麻の国内生産量は落ち続けていましたが、政府はあくまで大麻の増産を奨励していました。ところが敗戦後の1945年、日本を占領していたGHQは、「日本に於ける麻薬製品および記録の管理に関する件」という覚書(メモランダム)を発行しました。
ここで麻薬として定義されたのは「あへん、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、マリファナ、それらの種子と草木、それらから派生したあらゆる薬物、あらゆる化合物あるいは製剤」です。大麻もそれに含まれるものとして、その栽培が摘発の対象になりました。
このままでは国内の大麻が絶滅してしまうと危惧した日本政府は、GHQと交渉し、その結果、大麻の栽培が一定の制約条件のもとでの許可制として認可されることになりました。そこで制定されたのが「大麻取締法」です。つまり、今でこそ大麻使用を取り締まる法律である「大麻取締法」は、もともと施行された当初は、輸入品の増大に対して国内の大麻農家を保護するためのものでした。
しかし、大麻取締法が制定されて以降、大麻栽培の免許取得者数は徐々に減少していきました。これには二つの要因が考えられます。一つは、高度経済成長期における生活スタイルの変化、化学繊維の普及などにより大麻需要が急速に低下したこと。そして、欧米を中心に隆盛したヒッピー文化の影響を受けてマリファナの喫煙が世界的に流行し、麻薬に対する規制圧力が世界的に高まっていったことです。
こうして、かつて日本人の生活に密着していた大麻は、農作物としての機能を忘れ去られ、タブー視されるような違法の存在として認識されるようになっていったのです。
大麻に関する文献
大麻農業について記した文献は江戸時代から多く見つかっており、明治25年には光信という絵師が日本の大麻農業の様子を描いています。また、昭和12年に長谷川栄一郎・新里宝三によって発行された「大麻の研究」は、植物学的見地から大麻の歴史、信仰、民俗、文学について幅広く解説を行った名著として有名です。
ここに記載されている国内の大麻産地の分布絵図は、日本各地で大麻が生産されていたことを示しており、明治以降、輸入品の増大によって大麻の国内生産が減少していることが危惧されています。またこの本の冒頭には陸軍大将、海軍大将、農林大臣の揮毫がされ、序文は将校大臣によって書かれていることからも、当時の日本にとって大麻が重要な農作物とみなされていたことが分かります。
栃木の大麻畑
栃木県は、歴史的に多くの大麻畑を有した日本の一大産地でした。現在も国内の大麻生産の約90パーセントを占めており、陶酔作用がないよう品種改良された「とちぎしろ」の栽培も行われています。
大麻栽培が行われている栃木のとある小学校では、まっすぐ曲がらず伸びる大麻の姿にあやかって、大麻をモチーフにした校章が少なくありませんでした。1945年、GHQ占領下において国内の大麻栽培が危機に陥った年には、昭和天皇が栃木県国府村(現・栃木市国府町)を訪問し、大麻農家を励まされている写真が残っています。栃木にある大麻博物館では2001年に開館して以来、栃木が誇る大麻に関する情報を発信し続けています。
大麻のこれからはどうなるのか
以上、日本国内における大麻がどのような歴史を歩んできたかご紹介しました。大麻が日本の伝統的な生活・文化と密接に関わっていること、それにもかかわらず現在違法性ばかりが注目されていることがが分かっていただけたかと思います。
麻薬にカテゴリーされるものとして危険視されてきた大麻ですが、現在、世界保健機関(WHO)によって規制の見直しが進められています。痛み、てんかん、癌、喘息、うつ、睡眠障害など様々な領域における医療価値が見いだされつつあり、世界的には規制の降格が始まっており、いずれ日本も同じ道をたどることが予想されるでしょう。